『エリック・ル・サージュ マスタークラス

マスタークラスの感想
齊藤佐智江(フルーティスト)

 まだ学生の頃、ゴルウェイさんの伴奏をしていらしたフィリップ・モルさんの弾くピアノにいたく感動し、初めて「伴奏家」の存在を意識した。それ以来、室内楽にはまったせいもあって、佐久間さんの伴奏をよくされている野平さん、パユさんの伴奏もされているル・サージュさんetc・・と名演奏家の選ぶ伴奏家(ピアニスト)にはピアニストとしても興味を持っている。
 フルートにしてもフランス人の先生方は、レッスンの時によく吹いてくださる方が多いので、コンサートさながらだったり、レッスンにその方のお人柄が垣間見られたり、公開レッスンはとにかく格別の楽しみがある。ル・サージュさんに関しては、とてもダイナミックかつ繊細な音楽を奏でる方というイメージがあったのだが、お人柄もとてもシンプルで、おっしゃることもわかりやすくストレートだった。また特に、今回はレッスンの曲目も非常に興味深かった。こういったことは講師をよくご存知だからこそできる企画だと思う。室内楽2曲では、音楽の深さを聴かせていただき、ほんの少し生徒さんに代わって弾いてくださったときの迫力もすごかった。プーランクでは、ピアノのふたをしめて、その上を叩かせ、聴講生に目をつぶってどちらがいい音か選んでもらおう、とそんな試みも提案され、実際その違いが歴然としていて面白かった。手首の使いかたでこんなに音が変わるのだととても驚いた。最後のセヴラックは受講された方の演奏もすばらしかったので、楽しませていただいたが、先生の演奏も少し聴きたかった。
 来年はコンサートホールでぜひル・サージュさんの音楽を堪能させてもらいたいと思う。

 とにもかくにも、企画、実行委員会の方々、本当にありがとうございました。お疲れ様でした!


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♪「エリック・ル・サージュ マスタークラス(ピアノ・室内楽)公開レッスン」を聴講して♪
高橋喜治(作曲家)

 「軽妙洒脱」という言葉がそのピアノのタッチそのものから連想されるル・サージュ先生の公開レッスンでした。
 ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第3番』での繰替えされる同形のフレーズは1回目と2回目とは異なるニュアンスで弾かれるべきであるということや、シューマンのクラリネットとピアノのための『幻想小曲集Op73』のクラリネットのスケールによるフレーズは「スケールの練習のようにではなく、フレーズの方向性を感じながらあくまでも音楽的に」奏されるべきであることや、プーランクのピアノ『クロード・ジェルベーズによるフランス組曲』の「腕や肩の力を抜き、腕をしなやかなばねのようにして弾く」ことや、セヴラックの『セルダーニャ』の“リヴィアのキリスト十字架像の前のラバ引き達”の左手で和音と共に奏されるメロディは一音一音指を離して(つまりペダルの中でのスタッカートでよく響かせて)奏されるべきことなどが時折実演を交えながら明快にご教示なされましたが、大変実際的で納得がいくレッスンでした。また、確かシューマンの時であったと思いますが、ある深遠な雰囲気の箇所では、「ソクラテスとその弟子たちとの対話のように」(恐らくプラトンの「ソクラテスの弁明」を引いてのこと…?)といったようなウィットに富んだアドバイスの言葉も印象的でした。
 生き生きとした歌い方やアゴーギグや様々な音色の弾き分けなど 取りも直さず音楽について学ぶということは一個の生命或は人生について学ぶことに匹敵することなのだなぁなどと近頃感じていたことを改めて確認させられましたし、そうした深いことを全然堅苦しくないラフな感じで教えられる(時折ポケットに両手を突っ込んでたり、受講者のピアノ椅子に隣の椅子から両足をかけてたりといったような)レッスンスタイルにも共感を感じました。受講者の方々も素晴らしく、公開レッスン全体もまさに「軽妙洒脱」な といった印象を受けました。レッスン後の晩餐会では「ラヴェルの“口絵”を是非いつの日か弾いてください」と要望を通訳して頂きましたが、ラヴェルだけではなく勿論ドビュッシー、それに今回私にとって新しい出会いであったセヴラックやまたル・サージュ先生のシューマンにも興味をそそられます。来年のご来日、楽しみにしています。
”マスタークラス後の夕食会の様子”
齊藤佐智江さんは向かって左列の奥から2人目、高橋喜治さんは向かって右列の奥から3人目です。